加賀友禅とは

加賀友禅の歴史は、今からおよそ500年前、加賀の国独特の染め技法であった無地染の「梅染」にさかのぼります。そして模様が施されるようになったのは17世紀中頃。いわゆる加賀御国染と呼ばれる兼房染や色絵・色絵紋の繊細な技法が確立されたことから、加賀友禅は現在の道を歩み始めました。正徳2年(1712)京都の町で人気の扇絵師であった「宮崎友禅斎」が金沢の御用紺屋棟取の「太郎田屋」に身を寄せ、斬新なデザインの模様染を次々と創案。その傑出した能力で友禅糊の技術を定着させるなど、加賀友禅の発展に大きく寄与しました。その後、加賀百万石の武家文化のなかで培われ、多くの名工を輩出しました。五彩と言われる臙脂・藍・黄土・草・古代紫を基調とし、着物に美しい自然の息吹きを封じこめる加賀友禅。落ち着きのある写実的な草花模様を中心とした絵画調の柄が特徴で、線にも手描きの美しさが感じ取られます。外を濃く中心を淡く染める「外ぼかし」や「虫喰い」の技法も使われます。仕上げに金箔や絞り、刺繍など染色以外の技法をほとんど用いないことも京友禅とは異なる特徴の一つです。加賀友禅には繊細な日本の心と、染めの心が絶えることなく脈々と息づいています。

外ぼかし

外ぼかし

虫喰い

虫喰い

加賀友禅証紙

加賀染振興協会が発行する証紙で、類似品防止と品質保持を目的に加賀友禅のきものと関連製品に貼付します。証紙の色とデザインは製品の種類により異なります。加賀友禅は他産地に先駆けて証紙デザインを商標登録しており、現在では全国区で認知されています。

加賀友禅証紙
加賀友禅証紙
加賀友禅証紙
加賀友禅証紙
加賀友禅証紙

手描き友禅の制作工程

図案作成
加賀友禅の制作工程は主な工程だけで9つあり、そのすべての過程で熟練の技術が求められます。 一点一点、根気と時間をかけて仕上げられる手描き友禅は、それゆえに高い価値を誇ります。
仮仕立て
下絵
図案の上に白生地を重ねて下から照明を当て、「青花」と呼ばれる露草の花の汁を用いて線を写し取ります。青花は後工程で水ですすぐと跡形もなく消え去ります。
糊置き
もち米の粉を蒸して作った糊を紙の筒に入れて絞り出し、下絵の線に沿って細く糊を引きます。これは「糸目糊」と呼ばれ、次工程でさす染料がにじみ出さないよう防波堤の役割を果たします。
彩色
加賀友禅制作の中心となる工程で、糊を引いた輪郭の内側に、筆や刷毛を使ってさまざまな色をさしていきます。仕上がりの美しさと品格がここで決まるため、高い技術と色彩感覚が要求されます。
下蒸し
中埋め
「糊伏せ」ともいわれ、彩色された部分を糊で伏せ、次工程で地色を染める際にこの部分に色が入り込むのを防ぎます。伏せ糊は糸目糊に比べてやわらかく、粘度もあります。
地染め
「引き染」ともいわれ、刷毛を使ってきものの地色を染める工程です。平均にむらなく染めるには、刷毛に含ませる染液の量や、刷毛を動かす力が一定でなければならず、集中力と熟練を要します。
本蒸し
10水洗
流水で糸目糊や伏せ糊、余分な染料を洗い流す工程です。河川の清冽な流れに反物を広げる「友禅流し」は冬の金沢の風物詩として有名で、今でも数軒の染屋が浅野川で作業を行っています。
11脱水・乾燥
12仕上げ

手描き友禅の制作工程

手描き友禅の制作工程

手描き友禅の制作工程

手描き友禅の制作工程

手描き友禅の制作工程

板場友禅の制作工程

板場友禅は模様を彫った型紙を使って染める手法で、型友禅や加賀小紋染とも呼ばれています。
高度な技による精緻で繊細な模様は、手描き友禅とは違った魅力と風合いで親しまれています。

図案作成
仮仕立て
下絵
糊置き
彩色
下蒸し
中埋め
地染め
本蒸し
10水洗
11脱水・乾燥

板場友禅の制作工程

板場友禅の制作工程

加賀友禅の巨匠たち

人間国宝に指定された木村雨山をはじめ、加賀友禅の巨匠の作品の一部を紹介します。どうぞごゆっくりとご高覧ください。

木村 雨山

木村 雨山

きむら うざん

[明治24年―昭和52年]
明治末期に上村雲峰に師事。昭和30年人間国宝。
加賀友禅の名声を全国に轟かせた巨匠の中の巨匠。

振袖「菊寿」

談議所 栄二

談議所 栄二

だんぎしょ えいじ

[明治32年―昭和49年]
大正初期に岡本光谿に師事。後年雨山に次ぐ巨匠となり、草花の繊細な描写には雨山を凌ぐものがあった。

振袖「赤松」

能川 光陽

能川 光陽

のがわ こうよう

[明治33年―平成8年]
大正初期に岡本光谿に師事。96歳の天寿を全うするまで「間」を巧みに生かした品格ある創作を貫いた。

訪問着「ホノルルの花」

成竹 登茂男

成竹 登茂男

なりたけ ともお

[明治36年―平成3年]
大正初期に中橘園に師事。戦後以降日展でも活躍。
写生とともに迫力ある力強い構成力に秀でていた。

訪問着「山茶花」

毎田 仁郎

毎田 仁郎

まいだ じんろう

[明治39年―平成5年]
大正中期に下村光鳳に師事。徹底した写生ぶりと温もりのある繊細な彩りの妙のにより高い評価を得た。

訪問着「芳香」

梶山 伸

梶山 伸

かじやま しん

[明治41 年―平成9年]
大正末期に梶山星年に師事。自然描写を基調とした造形表現に非凡さを発揮、業界の指導にも貢献した。

振袖「彩華文」

初代由水 十久

初代由水 十久

しょだい ゆうすい とく

[大正2 年―昭和63年]
昭和初期に紺谷静焦に師事。古典文芸にも造詣深く、童子の詩情豊かな描写力は高い評価を得た。

黒留袖「白酒売り」

水野 博

水野 博

みずの ひろし

[大正7年―昭和54年]
昭和初期に土屋素秋に師事。独特の抑制された彩りで装飾的な草花を描き加賀友禅に新風を吹き込んだ。

訪問着「野( のげし)」

矢田 博

矢田 博

やた ひろし

[大正8年―昭和61年]
昭和初期に土屋素秋に師事。写生を重視したダイナミックな構図とともに巧みな図案化は高い評価を得た。

振袖「やすらい祭り」